ワンルームマンション投資会社に入社した社員

さて、イケイケな入社式を終え、翌日から地獄の社会人1日目が始まるのでした。

前編をお読みでない方は、先ずこちらのをご覧ください。

不動産営業きつい!投資マンション会社での辛いブラックなエピソード3

 入社一日目からトップギアで地獄状態に。

二日酔いで眠い目をこすり、時計を見ると出社時間ギリギリでした。あわてて飛び起き、慣れないネクタイにてこずりながら、30秒程度で歯磨きを済ませて(汚い)大急ぎで自宅をでました。

自宅から駅まで走って向かう最中に、恐らく新卒社員であろう同年代の人が何人か同じように走って駅に向かうのを見て、なんとなくホッっとしつつも、昨日の京王プラザホテルで自分自身に誓った「負け組貧乏大学生からの脱却」をいきなり破ったような気がして少し落ち込みました。

大学当時より、高田馬場駅に住み大学も高田馬場でほとんど電車にのることもなく、まして朝方寝て、昼過ぎにおきるという究極のグータラ生活を送っていた私にとっては、朝の満員電車は本当に憂鬱でした。

出社時間にはギリギリ間に合いそうだったので、ipodで好きなダンスミュージック(死語?)を聞きながら、テンションを高め職場に向かったのであります。

当時の会社はビルの7Fと8Fにありました。8Fは内勤(事務)さん、社長室、応接室が一緒になったフロアで、7Fは僕たち新卒が配属される営業部のフロアでした。

集合場所は8Fの応接室だったのですが、みんな一人で行くのが怖かったのか、近くの神社に一旦あつまり、みんなで8Fに向かいました。

8Fに着くと、入り口でいつも優しいK部長が「おはよう!」と温かく迎えてくれたのでした。

給与振込や休憩時間についての説明など、基本的なオリエンテーションが終了しいざ営業部のフロアへ!

営業フロアでの衝撃な光景

みんなでゾロゾロと非常階段を使い7Fフロアへ。

大きな鉄の扉があってそこを開けると営業フロアなんですが、ガヤガヤとめっちゃめちゃ騒がしい。

もう非常階段まで聞こえちゃうぐらいうるさい。

特定の人が大声で話しているとかいうレベルじゃなくて、中に人がいっぱいいて、みんなそれぞれが大声でなんか言ってる!でも聞き取れない!みたいな感じでした。

ドアを開けると、中に入るとそこにはこんな光景が・・・↓

http://anarchy.jp/wp-content/uploads/2015/01/telapo.jpg

みんな「電話」してました。

上記を逸したテンションです。

テレアポとかそんな上品な単語じゃくくれません。

しかもフロアを見渡すと、イスがあるのになぜか立って電話営業してる人が半数以上(電話のダイヤル押しにくいでしょう・・・)。

なぜか机の上に正座させられて電話している人(なんでイスじゃないんだ・・・)。

2mはある壁際のロッカーの上で正座で電話している人(天井に頭が付くから、土下座みたいなかんじになってますけど・・・)。

机の下に潜り込んで電話している人(地震じゃないんだから・・・)。

なんなんだこれは・・・

その件については何の説明もなく、K部長から座席表をもらい、自分の席へ。

もちろん机の上には電話機が。

しかも、普通は電話機って大体机の端に置いてありますよね??違うんです。

机の超ど真ん中に「電話機」が置かれていました。これが「電話機だ!」と言わんばかりです。

私の記念すべき初めての電話営業はとんでもなかった

K部長から一人一人紙の束を渡され、「よーし!それじゃあこれから電話始めるから!アポ取れそうになったら手あげて教えてね!スタート!!」

え?なんだそりゃ・・・説明なさすぎだろ!てかどこに電話するん・・・ああ・・・これか・・・その紙の束こそが名簿だったのです。

字が細かすぎて何か模様の書いた紙だと思いました。これにかたっぱしから電話するのか。

みんなも理解はしているのですが、なかなか手が震えてかけられません。一番最初にお客さんと繋がったらどうしよう・・・。

てかそしたら何話せばいいんだよ・・・。

とにかくじっとしていると怒られるので、一回目の電話をかけたのであります。

「プルルルル・・・(頼む!出ないで!!!)」電話の呼び出し音が鳴り、心臓が高鳴ります。「もしもし?(うわーでたー!!、どうしよう!どうしたらいいんだ!)」

「あっ・・・、えーっと・・・、アp・・・」「はあ?(なんていえばいいんだー!助けて!)イタズラ?変態かよ!!ガチャ!!!!!」

へ、変態・・・。過去のイケてない自分と決別し、新卒で誰よりもカッコイイ社会人になるためにイケイケな不動産会社に入社し、今日この日がまさに新しい人生のスタートという大切な日に。始めて営業で電話したお客さんに変態電話と間違えられ私の心はひどく傷ついたのであります(お客さんごめんなさい)。

でも、落ち込んでいる暇は全くありませんでした。

「受話器を一回一回もどさなくていいよ!時間勿体ないから。切られたらフック押して次の人に電話して!」とアドバイスを受け、黙々と電話したのでありました。

仕事が終わり、同期との帰り道・・・。俺やっていけるかなあ・・・同期の一人が言い出しました。

なぜかそいつが辞めると自分も心が折れそうだったので、必死に説得し、前向きに頑張ろうよ!と一生懸命話したのを覚えています。

超絶理不尽KYのゴリラ係長

そんなこんなで、そこから来る日も来る日も電話営業の日々が続き、最初は震えながらかけていた電話も、徐々に慣れてきて、先輩の見よう見まねで必死に毎日毎日怒られながらもなんとか懸命に働き、数カ月が過ぎようとしていました。

その頃には営業部の上司の人達の性格などもなんとなくわかってきました。

一人だけとにかく性格が悪いゴリラ顔の、ゴリラ並みの体格をした、ゴリラ係長がいました。

弱い者いじめが好きで、口癖は「お前ら(新卒)!俺みたいなりたいやろ~?(関西弁)」です。

それに対して、なりたくねーよ!とは言えず「な、なりたいっす!(新卒全員嫌々)」とゴマをするのでありました。

私は前回のブログでも話したように、あの地獄飲みでお世話になったk課長の班員でした。

地獄飲み詳細はこちらへ↓

不動産営業きつい!投資マンション会社での辛いブラックなエピソード1

その問題のゴリラ係長は隣の課だったので、私自身はあまり直接的被害は受けませんしたが、ゴリラ係長の課に配属された同期のTはストレスがかなり凄そうでした。そんなある日。

ボコボコ事件の発端

新しくできた自社のマンションを新卒だけで見に行く日があり、普段会社で電話しかしていないぼくたちは、上司の監視が無い事も手伝って物凄くテンションが上がっていました。

帰り道に「行電」といって、業務終了の電話をそれぞれの上司にすることになっていたので、私はK課長に電話し、物件見学が終わった旨を伝え電話をきりました。

Tはゴリラ係長に業電をすることになっていたのですが、コールするがなかなか出ない様子。

Tもイライラし、僕たちに「あのゴリラ電話出ないわ。〇〇(ゴリラ係長の苗字呼び捨て)!このクソ〇〇!!」と罵詈雑言を浴びせていました。調子に乗ったKは僕等の方を見ながら受話器を話し、ゴリラの真似をしながら、クソ〇〇!を連呼しておどけてみせたのでした。

そんななか、何故かコール中のはずの彼の携帯が鳴っています。キャッチコールではありません。恐る恐る電話にでるT。

「いえ!言ってません・・・。ほんと言ってません!!・・・はい・・・」

実は電話が途中から通話中になっていて、ゴリラ係長に丸聞こえで、怒った係長が電話を切り、折り返ししてくるという最悪なミラクルがおきたのであります。

顔面蒼白のT。会社までの道中、必死でみんなにあいつはそんなこと言ってない!と口裏合わせをお願いするT。会社に着くとK部長がTだけ8Fに来いとのこと。みんな素知らぬ顔で、7Fフロアでいつも通り電話営業に取り掛かったのでありました。

そして・・・

30分ほどすると、7Fの入り口の鉄の重い扉がゆっくり開きました。

するとそこには、Tの姿が。あれ?メガネなんか変じゃね?あとYシャツ破れてるし・・・。眉間から血が。

ちょっと泣いてる。その時のメガネはこんな感じでした。↓

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/e4/9a1ecb446dbcc4cc3d35ea3e47f999fc.jpg

まあ、大体想像はつきますよね・・・

その夜は慰めに一緒に飲みに行きました。そこで、Tも少しは反省しているかな?と思ったんですが、全く反省していません・・・。

口を開けばまたゴリラ係長の悪口です。

正直こんな目にあったTもかわいそうですが、Tの人間性にも問題があると感じ、正直に今回はお前が悪い的なことを言ってしまい、その後の関係がギクシャクしてしまったのでありました。

あまり後味の良い終わり方では無く申し訳ないですが、実際にリアルな話なので。

当時の会社はキャラが濃すぎて、ゴリラ係長以外にも本当に色々な人が居て、様々な事件があり、その話を書きだしたらキリが無いほどです。

今後も不動産投資の実務的な話と営業思い出話も含めて、たくさんの方にブログを読んでいただけるように頑張っていこうと思います。

まとめ

地獄飲みや暴力沙汰など事件に事欠かないワンルームマンション投資会社でした。

しかし、今になって思えばK課長やS係長も当時の部長も、ちょっと癖はありますが本当に面倒見の良い人ばかりでした。

ここまで社員や部下と毎日苦楽を共にし、時間を共有できる人はいません。

この人たちのおかげで今の自分がいます。

営業マンとしてお金が稼げるようになったのも、マンションが売れるようになったのも全て当時の上司のおかげであったと今になって思います。